モナリサ

モナ・リザ
油彩、ポプラ材、77cm×53cm
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1503 - 1506)

モナ・リザ』(英: Mona LisaMonna Lisa、伊: La Gioconda、仏: La Joconde)は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油彩画。内観的な表現を持って深緑の衣装を着た一人の女性が、僅かに微笑んだ半身の肖像が描かれている。恐らく歴史上最も有名な肖像画であり、これほど賞賛、模写されてきた絵は他に例を見ない。『モナ・リザ』は現在パリのルーヴル美術館に展示されており、同館の目玉展示物となっている。

 人物をバストアップのアングルで捉え、遠景を背景に配し、頭を頂点にしてピラミッド状に人物を置いた『モナ・リザ』の構図は、その後の肖像画に大きな影響を与えた。肖像画として初めて空想の空間の前に人物を描いたものの一つでもある。顔、首、胸、腕は柔らかな光が当たっているように描かれ、この光彩が隠れた球面と円形の構図を明らかにし、画面を生きたものとしている。全体を通してレオナルドが完成したスフマートで描かれており、背景には空気遠近法が効果的に用いられている。これによってレオナルドは、モデルと風景を統合的に描くことに成功している。

「モナリザ・スマイル」と呼ばれるその独特の笑いは古くから多くの研究者を虜にしてきた。純粋に魅力的な者を描いたと言う者も居れば、ひねた笑いか、悲しみをたたえた笑いであるとも言う者も居る。ジークムント・フロイトは、レオナルドが母親に抱いていた性的な魅力であるという解釈を残している。しかし、レオナルドの時代にはこのような不思議な笑みも肖像画によくみられる特徴の1つであった。この表情を感情認識ソフトに通したところ、83%の幸せ、9%の嫌悪、6%の恐怖、2%の怒りという結果になったという。また表情が左右で微妙に異なっている事もよく指摘される。左半分が悲しみ、右半分は喜びを表しているとする意見もあれば、レオナルドが同性愛者であるという説と関連付けて、左半分が男性、右半分が女性とする意見もある。

えが レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci、本名:Leonardo di ser Piero da Vinci、1452年4月15日 - 1519年5月2日) はイタリアのルネサンス期を代表する芸術家で、画業の他、彫刻家、建築家、科学者としても名を馳せる万能人であった。万能の天才という異名で知られる。「万能人(uomo universale)(ウォモ・ウニヴェルサーレ)」とも呼ばれている。

 ミケランジェロ、ラファエロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。中でもこのレオナルド・ダ・ヴィンチは名実ともに最大の画家として知られる。

卓越した遠近法の技術も然ることながら、完璧主義者であったレオナルド自身が考案した技法の『スフマート(ぼかし技法)』を用いた作品は、以降の画家に多大な影響を与えた。『受胎告知』『岩窟の聖母』『モナ・リザ』を始めとする数々の名画を残すが、『レダ』や『アンギアーリの戦い(※バロック絵画の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンス版『アンギアリの戦い』はこちら)』などは消失しており、現在目にできるのは、ヴァリアントや素描・画稿模写のみとなっている。

レオナルドは若い頃は「この世で最高の美男子」と呼ばれるほどの美貌の持ち主だったらしいが、生涯特定の女性と親しい関係になることはなく、独身だった。 

最後の晩餐

最後の晩餐 (1495-97年)

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会壁画:油彩・テンペラ

 レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』。ダ・ヴィンチが生涯に手がけた壁画のうち、現存する最も代表的な作品であり、当時のミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ(ルドヴィコ・イル・モーロ)の依頼によりミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ聖堂修道院食堂の装飾画として制作された本作は、キリスト教美術において比較的古くから用いられ、修道院の食堂を装飾する絵画の主題として典型のひとつでもある≪最後の晩餐≫を描いたものであるが、単純に、通常示される教義≪聖体拝受(主によるパンと酒杯の拝受)≫を描いたものではなく、イエスが十二人の使徒に対し『この中に私を裏切るものがいる』と、裏切り者を指摘する、劇的な要素での登場人物の複雑な心理描写に重点が置かれている。 

十二の使徒

 本作では魚料理が描かれたことが近年の修復作業によって判明した。本作は技巧的にも、壁画で通常用いられるフレスコは使用されず、油彩とテンペラによって描かれているため、完成後まもなく遜色が始まり、それに加え食堂が馬小屋として使用されたことで湿気に晒されたことや、第二次大戦での建物全壊(奇跡的に壁画は無傷)などが重なったことによって、壁画として保存状態が悪かった期間が長かった為、もはや、この傑作を原型のまま鑑賞することはできない。
イエス 裏切り者がいることを指摘するイエス。

 主イエスが十二人の使徒に対し『この中に私を裏切るものがいる』と、裏切り者を指摘する劇的な要素での登場人物の複雑な心理描写に重点が置かれている本作は、それまでの宗教画的表現を大きく逸脱し、その後の美術に大きな影響を与えた。

 

ユダ 福音書記者聖ヨハネに問う聖ペトロ。

 左から主イエスを裏切ったイスカリオテのユダ、十二弟子の筆頭である聖ペトロ、福音書記者聖ヨハネ。またダヴィンチ・コードを始めとする各書では、この聖ヨハネを(密かにイエスと結婚をしていた)マグダラのマリアとする説が唱えられている。

 

ふぁえ ユダの背後に描かれたナイフが握られる謎の手。

 本作で最も謎めいた描写のひとつである、この誰の手とも捉えることのできない謎の手の意図と解釈は、現在までに聖ペトロの手とする説など諸説唱えられ、今も研究が続けられているが確証を得るには至っていない。

東方三博士

東方三博士の礼拝

(Adorazione dei Magi) 1481-82年頃
246×243cm | 油彩・板 | ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

 ルネサンス三大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ未完の傑作『東方三博士の礼拝』。本作はフィレンツェ郊外サン・ドナート・ア・スコペート修道院の注文により同修道院の中央祭壇画として制作された作品で、主題には未来のユダヤの王たる神の子イエスの降誕を告げる新星を発見した東方の三人の王(一般的にはメルヒオール、カスパル、バルタザールとされる)が、エルサレムでヘロデ王にその出生地を聞いた後、星に導かれベツレヘムの地で神の子イエスを礼拝し、王権への敬意を示す黄金、神性への敬意を象徴する乳香、受難の予兆であるとされる没薬(没薬は当時、死体の保存に使われていた)を捧げる場面≪東方三博士の礼拝≫が描かれている。

レオナルドは、「自分の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」という言葉を残している。 

日記

レオナルドの日記の一部分

この内容から見ると、子宮内の胎児についての研究が進んでいるようです。

(c. 1510) Royal Library, Windsor Castle

 また、レオナルドは音楽の演奏及び作曲も行なった。リュートを演奏し、自作のリラを弾きながら歌った。ミラノを最初に訪れたのは、メディチ家の依頼でスフォルツァ家にリラを献上するためだったという説もある。新しい楽器のアイディアや演劇用にデザインした服装もスケッチに残されている。それを元に紙オルガンやヴィオラ・オルガニスタなどが再現され、演奏も行なわれている。

(以上の資料、写真の転載はウィキペディア、Wikipedia(英語)、azuma takashiなどより引用.編集)

ルーブル美術館公式サイト http://www.louvre.fr/llv/commun/home.jsp?bmLocale=ja_JP

Art Gallery - Leonardo da Vinci http://www.malarze.walhalla.pl/galeria.php5?art=47

BBCの特集ページ http://www.bbc.co.uk/science/leonardo/

ダヴィンチの工房 http://www.ops.dti.ne.jp/~manva/

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