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第142回直木賞を受賞し記者会見にのぞむ

佐々木譲さん(右)と白石一文さん

東京都千代田区で2010年1月14日午後8時24分、武市公孝撮影

 第142回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考委員会が14日、東京・築地の「新喜楽」で開かれ、直木賞が佐々木譲さん(59)の「廃墟(はいきょ)に乞(こ)う」(文芸春秋)、白石一文さん(51)の「ほかならぬ人へ」(祥伝社)に決まった。芥川賞は該当作がなかった。

 白石作品は、人を愛するとはどういうことか根源的に問う恋愛小説。表題作と「かけがえのない人へ」の中編2本から成る。配偶者や恋人とのズレてしまった関係をくぐりながら、愛すべき本当の相手をみつける姿を真摯(しんし)に描き出す。

 芥川賞の該当作品なしは第121回(1999年上半期)以来。

 贈呈式は2月19日午後6時、東京・丸の内の東京会館で開かれる。

■直木賞選評

 直木賞選考委員の宮城谷昌光さんは「佐々木作品は習熟度が高く、読んだあと、なんとなしによかったというところに香りがあった。白石作品は文体も構成力も優れている。現代の若い人が望んでいるものに応えた作品だ」と語った。

■芥川賞選評

 芥川賞選考委員の池澤夏樹さんは「長期的にみて、日本文学が低調とはいえないが、今回の5作品について、作者が何かを偏愛しているふうには感じられなかった」と話した。【毎日新聞より】

今回ノミネートされていた作品は以下の通り

●第142回芥川賞 候補作品
大森兄弟『犬はいつも足元にいて』(文藝冬号)
羽田圭介『ミート・ザ・ビート』(文学界12月号)
藤代泉『ボーダー&レス』(文藝冬号)
舞城王太郎『ビッチマグネット』(新潮9月号)
松尾スズキ『老人賭博』(文学界8月号)

●第142回直木賞 候補作品
池井戸潤『鉄の骨』(講談社)
佐々木譲『廃墟に乞う』(文藝春秋)
白石一文『ほかならぬ人へ』(祥伝社)
辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』(講談社)
葉室麟『花や散るらん』(文藝春秋)
道尾秀介『球体の蛇』(角川書店)
fs  佐々木さんは北海道生まれ。79年、オール読物新人賞を受け、「エトロフ発緊急電」で日本推理作家協会賞、山本周五郎賞。冒険小説など多彩な作風で知られる。受賞作は、心を病み、休職中の北海道警の刑事が事件の裏面に迫るミステリー。広告代理店、自動車メーカー販売促進部などを経て、1979年に『鉄騎兵、跳んだ』で第55回オール讀物新人賞を受賞し、作家活動に入る。1988年に『ベルリン飛行指令』が、2007年に『警官の血』が直木賞候補になったほか、『ストックホルムの密使』が第13回日本冒険小説協会大賞を、『武揚伝』が第21回新田次郎文学賞を受賞している。

sss  白石一文氏は1958年福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1983年に文藝春秋へ入社。2000年、「一瞬の光」でデビュー。03年、文芸春秋を退職し作家専業となり、09年、「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」で山本周五郎賞。直木賞候補は2回目だった。受賞作は、自分を「生まれそこない」と考える男性が真実の愛を見つけるまでを描く表題作などを収録する恋愛小説集。

 白石さんの父・白石一郎さんは「海狼伝」で1987年に第97回直木賞を受賞しており、同賞初の親子受賞。5作が候補になった芥川賞は、99年上期の第121回以来、該当作がなかった。

ふぁ 

■大森兄弟『犬はいつも足元にいて』
 犬が登場する表題から思い浮かべるほのぼのとしたイメージを裏切るシュールな世界が広がる。中学生「僕」と、同級生の粘着質なサダ、別れた両親という少ない登場人物に、分身のような犬。そこに変わった口調のサダの母親や巨体の男など不思議なエッセンスが効く。情景描写や構成など少々荒削りな感も否めないが、スムーズに読める。兄弟による共著で、どんな風に書かれたのか興味深い。父から金を奪ったり、母にうそをついたりと鬱屈(うっくつ)とした日常で僕が起こす事件。犬が好んで掘って探す「臭い肉」は、人の心にすむ悪意なのか。(産経新聞より)

 

げあ

新喜楽 東京都中央区築地4 6 7

第142回の芥川賞・直木賞の選考会が14日、東京・築地の料亭「新喜楽」で開催される。

新喜楽(しんきらく)は、東京都中央区築地にある老舗の料亭。店主は代々の女将が務めている。初代女将の伊藤きんと姓が同じであったこともあり、伊藤博文がよく利用していたという。政財界の有力者を得意客としていた。元首相、佐藤栄作が1975年に倒れたのもこの店であった。

芥川賞・直木賞の選考が行われる場所としても知られている。

建物は関東大震災後に建設されたものをベースに、1940年以降、建築家吉田五十八が度々増築・改修を手がけており、新興数寄屋の名作でもある。大広間は関東一の広さを誇る。

金田中と並ぶ、日本二大料理屋のひとつである。また、吉兆を含め日本三大料亭と呼ばれる。

(以上の資料、写真の転載はウィキペディアなどより)

「芥川賞」と「直木賞」とは何がどう違う?http://4510plan.jp/360/newscolumn/13817/

佐々木譲資料館 http://www.sasakijo.com/index.html

「心に龍をちりばめて」を書いた 白石一文(しらいし・かずふみ)さん

http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/20071216/visit.html

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ふぇあ

今日の一枚

ウサちゃん:「自由と責任があってこそ、大人ちゅうことじゃ~」(土佐弁)


大人になるというのは難しいことです。

それは、

自分で稼いで自分の面倒を自分でみて

自分の人生を自分で選択し

社会における一定の役割を果たすことができる存在になる、

ということなのでしょうが、

ここにあげた事柄の内容には、

いろいろなものが詰まっています。

大人になるのは、

自分の人生を自分で選択する自由を持つことですが、

果たすべき義務と責任もついてくるので、

甘えることができません。

そこで、

自分の人生を自分で選択し、

社会に一定の責任を果たすことを幸せで 

価値あることとみなすか、

そんなのは重苦しいから、

自由も少ないけれど責任もない、

子どもの状態のほうが幸せだと思うか、

そこが分かれ目なのでしょうね。

誰もそんな風にしっかりと考えて、

子どものままでいたいと「選択」するのではないでしょうけれど。

こう考えてくると、

大人になるというプロセス、そして大人として期待されることは、

男性と女性で昔から異なっていたのですが、

それが最近の日本社会でどう変わったのか、

ということが問題なのだと思います。

女性をめぐる社会状況は大きく変わりました。

一昔前は、大人の男性は一家を支える責任を引き受け、

家族を食べさせて守る、でも家事・育児なんかはやらない。

大人の女性は、朝から晩まで、

けっこう肉体的にはたいへん家事・育児をしていたとしても、

人生の選択という点ではいろいろと制限があり、

自由の範囲は少なく、

責任という点では、夫や父親の言うことを聞いていればよい、

ということだったのでしょうか。

昨今では、こんな考えはもう崩れてしまいましたが、

さて、

男性であれ女性であれ、

「大人になる」というプロセスはどうとらえられるようになったのでしょうね。

いまや、

共働きカップルはあたりまえ。

女性が社会に進出し、自分自身の財産を蓄え、

自分の人生で好きなことを追及することができるようになりました。

明らかに、

大人の女性が持てる自由は増えました。

しかし、「大人の女性」とは何か?

どんな大人の女性が魅力的なのか、

というイメージはどんなものなのでしょう?

それを言えば、現代社会における「大人の男性」とは、

どんな資質をもった男性なのでしょう?

もしかしたら、

男性も女性も、それが描けていないのかもしれません。

自由だけは増えたけれど・・・・・・。

(長谷川真理子 「往復エッセー」2004年5月3日付産経新聞朝刊による)

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