(中鉢久美子撮影)(写真:産経新聞)
人はなぜわざわざ婚姻届を出してまで夫婦になり、家族をつくろうとするのだろうか。
それは 孤独に耐えられないから
「思いやり」という保障を確保しておきたいからなのかもしれない。
病気になったり、入院したら必ず側に来て 看病してくれる。
忘れることなく日課のように見舞いに来てくれる。
そんな人の存在を求めて 「逃げられない、逃げない関係」を、
うざったいことも 多少は覚悟の上で作るのではないだろうか。
そうでもなければ 意外と関係は冷めやすく もろく崩れて、
ときに互いに「逃げる」ことを選択することもある。
その結果、多くは「孤独」と向き合うことになる。
本当の「思いやり」は「逃げない関係」の中でしか育たないと思う。
関係から逃げられなかったら、「思い遣る」しか道は開かれないからである。
だから「思いやり」というからには 「遣り取り」がそこになければならない。
いくら「夫婦じゃないか、家族じゃないか」と言っても、
「夫婦、家族であることの喜び」を実感できる遣り取りが前提になければ絵空事である。
「家族」という名の持つ響きに”幻想”を持つことなく、
善し悪し関係なく、コミュニケーションを交わすことに
無頓着にならないように努めたいものである。
富田富士也「家族相談室」『禅の友』通巻653号曹洞宗宗務庁による
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